足利学校 はたして足利尊氏は来ていたのか
足利学校と聞くとすぐに足利尊氏の名が浮かびます。単にその名称からのイメージです。
こちらは坂東の片田舎、尊氏は関西で活躍した武将。
足利市には尊氏通りがあり尊氏の銅像もあります。果たしてこの地にも来たのだろうかと気になります。ますます関係が気になりちょっと調べてみました。
創建には諸説ありますが、名の由来は足利の地に建てられたので足利学校と言われます。
坂東の片隅に学校を建てる、昔も今も学問は喧騒の地から離れた場所と言うことなのでしょうか。創建以後も時代の権力者の庇護のもと江戸時代まで続きます。
あのフランシスコザビエルが「日本中最も大にして最も有名な坂東の大学」と海外に伝えたそうです。
足利の地は清和源氏の流れをくむ足利氏発祥の地で、尊氏が来たとの記録はありませんでした。
足利市は「足利と言えば尊氏」と言うことでその名を使い、この地を広く知らしめるようとしているようです。私もそのイメージにとらわれているその一人でした。わかりやすい話です。
今回のパースは、足利学校の鬱蒼とした森を整備する計画のもとに描いたものです。